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エフェクト カット修正

某映画の合成やエフェクト等をしているのですが、ここにきてどっさりリテイクが来ました。
この作業、映像に触れている人なら分かると思いますが、1カット仕上げるのに1日や2日はざらにかかるものなのです。(書き出しを入れるともっとかかる)

自宅で自分一人でやっているのもありなかなか進まず、試写に間に合うかどうか、「ハァハァ」な感じ。
しかも映像の素材料が半端無く、リスト化するのにもまた一手間かかってます。(今ココ)

今日のトレジャーフェスタはあきらめることになりそうです。

# by saturday_park | 2011-05-05 06:02

女子高生について

オトナになると口に出していいこと悪いこと、もしくはブログに書いていいこと悪いことがあることがあると思います。
というのもこのブログを読み返してみると、結構凄まじいことを書いてたりしてびっくりしたからです。
もともと大学時代に仲間内orメモ用に始めた何の公共性も意識しないで始めたものが、自分の意に反して(ブログなんだから当たり前なんだけど)公共性を獲得していることに上記のようなことを感じます。

エンジェルウォーズを見に行きました。
とにかく凄まじい映画でした。
この映画に億単位のお金を注ぎ込んで、なおかつこのクオリティで作り上げるアメリカ人ってどんな楽しくて良い人達なんだろうと思います。
見てて始終感じていたことは、監督のザック・スナイダーがずっと自分の耳元で「俺は女子高生がこんなマトリックスみたいなアクション(しかも超長回し)をしたり、ロードオブザリングみたいにドラゴンと戦ったりするのが大好きなんだ!俺は女子高生が大好きなんだ!!!」という幻聴がずっと聞こえてきました。

この映画のメッセージだとかテーマは何だっていうと、なんのことはなく「女子高生って素晴らしい!」っていうことだと思います。
脚本は超展開だし、本当にオタクが作った映画って感じだったのですが、ここまで度を超えたことをされると、「ザックさん、一生ついていきますわ」と言いたくなってしまう。
まぁ案の定、客はびっくりするくらい入っていませんでしたが…
でも、「女子高生が好きだ!」と言いたいことを言って、やりたいことをやれて、(普遍性がなくともそれにお金を注ぐ人達もいて)すごい健全な映画だと思います。


気が違ったような作品を我々も作っていかないといけないですね。

# by saturday_park | 2011-04-29 16:15

東電はオウムを超えた

「東電はオウムを超えた」という言葉を読みました。

素直にこの言葉を受け止めるならば「今回の原発の事故が東電(もしくは政府、もしくはその他のなにか)による人災だとすれば、それはオウムのサリン事件をも上回る規模での人災である。」といった感じだと思います。

初期対応の遅れは、廃炉より利益を追い求めてしまった結果であり、
ならば、
東電が「資本主義」という思想を過剰に信仰するカルト団体とも見れるんじゃないでしょうか。

# by saturday_park | 2011-04-04 22:26

地震

そろそろ自分の周りでも東京を離れる人が多発してきています。

みんな信頼をおく情報源をいくつか確保していて、それを見て判断していると思います。

が、今、東京は大丈夫かそうでないか、という部分においては、何とも言えないです。

大丈夫という人もいれば、やばいという人もいます。

原発の知識なんてほとんどない自分からすれば2次3次の情報しか判断材料がありません。

テレビなんかもっと本当のことを言っているのかわかりません。

はたしてどうなるんでしょうか。

11日の夜は車で都内を過ごしていたのですが、もう、「アイアムヒーロー」状態でした。

みんな買い占めし過ぎです。

絶賛花粉症中なんでティッシュを買えないとわかった時は冷や汗をかきましたが、なんとか売ってる場所を探し当てました。

東京が地震に対して(もしくは何らかのトラブルに対して)こんなにヘボイ街だとは思いませんでした。

物理的にはしょうがないにしろ、直接ダメージをおった訳ではないのに、日常生活をまともにおくれなくなるような事態になるなんて。



とりあえず東京脱出用にデータをHDDにコピー。

# by saturday_park | 2011-03-16 15:11

現代アートとスピリチュアルについて

先日、3331アーツ千代田にてニパフの公演を見に行かせていただいた。

パフォーマンスという現代アートの内の一つとして鑑賞した。

アジアから様々なアーティストが招待されており、奇々怪々だったり、人間の身体性だったり、感情と言葉の繋がりだったり、と色々思考が広がる面白さがあった。

現代アートにうとい自分は、特にパフォーマンスとなると、作品の読み方がまったくわからない。

それは現代アート自体がある種のわからなさを内包しているということもあると思う。

わからなさとは作品が作品のみで完結しておらず、なんらかのプレゼンテーション(説明、テキスト)が作品の誠実な読解には必要であるということだ。(近い事が現代写真にも言える)

だから自分は、現代アート一般に触れる際には、なるべく作品の読解に繋がりそうなコードを頭の中からひっぱり、からめ、思考につなげるようにしている。

それは「身体とはなんだろう」という疑問に繋がり、少なくとも「よくわからない」という一枚岩の感想には収束しない。

というわけで、ニパフ。

まだまだ彼らのようなパフォーマンスは現代アートとしてもマイノリティらしいのだが、何か新しい思考プロセス、これまでにない作品、表現(もはや呼吸が表現)、繊細すぎる物が複雑に絡まりあった末の何かが感じられた。



そんな中で一組だけ異質なパフォーマンスをするアーティストがいた。

それはスピリチュアルを作品の中に持ち込んだもので、いわゆるオーラ的なるものに関するパフォーマンスだった。

このパフォーマンスに異質さを感じたのはスピリチュアルとアートが混同し得ないと思うからだ。

いや、もしかしたらスピリチュアルはある種の希望を持たせるという点でアート足り得てしまうのかもしれない。

しかし危惧すべき事は、アートの「わからなさ」とスピリチュアルの「わからなさ」が混同し、思考停止の末、スピリチュアルがアート足り得てしまうことだと思う。

# by saturday_park | 2010-10-29 01:18

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